顕彰石を建上いたします。

皆様こんにちは。本日から秋のお彼岸に入りました。実はお彼岸の期間というのは、中日の前後三日間で合計七日間なんですね~。お彼岸は御家族揃ってお墓参りに出掛ける日本人にって大切な年中行事です。必ずお墓参りにお出掛けくださいね~。どうも!!もちろんお彼岸中にお墓参りに出掛けて心のリフレッシュをする石屋ブロガーの湊和也です。

御先祖様やじいちゃんやばあちゃんに聞いてもらいたいこといっぱいあるんすよね~!!

さてさて。僕の地元二本松市小浜地区には、史跡名勝に史跡保存顕彰石が建立されています。この顕彰石は大正15年5月5日に創立された「小濱青年道友会」によって、昭和天皇即位御大典を記念して、昭和3年から昭和4年にかけて建てられたとのこと。合計で27箇所に建立されたようなのですが、現在1箇所だけ残念なことに亡失しています。(現存は26箇所ですが、そのうち数箇所は風化が甚だしく複製されたものが建っています。)

こちらは建立当時から残っている顕彰石。西勝田字競石地区の山中にございます。「輝宗公遺愛之櫻」と彫られています。輝宗公とはまさしく伊達政宗公の父親。僕の地元はけっこう歴史ある地域なんですよ(^_^;)桜は朽ち果ててしまいましたが、現在は孫桜が山競集会所脇に植樹されています。現在木にくくりつけて立っている状態なので、この度コンクリートを使用してしっかりと建上させていただきます。

こちらは複製されたもののうちのひとつ。小浜字新町地区の西念寺様の参道の脇にございます。こちらの謂れは有識者の先輩からお話をうかがった後に書きたいと思います。

先程1箇所亡失していると書きましたが、この度「岩代小浜の歴史と文化を護る会」様からの御依頼を賜りまして、亡失している顕彰石の複製の作製と建上をお世話になることになりました。

こちらは完成した顕彰石。もちろん地元産出の初森御影石にて作製いたしました。

古明神の謂れは下記の通り。

「本宮街道と三春街道の分岐点の南西の丘陵が古明神。宝永二年(1705)に慈現明神が現在の反町地神山に奉遷されるまでこの地にあった。大河内修理が領主石橋氏から文明三年(1471)に旧城を修理して居城した際、御社を城向かいの明神山に奉遷したといわれ、これが古明神といわれるところ。」

この顕彰石はその名の通り、小浜字古明神地区に建上させていただきます。

石屋として地域の歴史保存に関係できますことは本当に光栄なことでございます。またですね。おそらく建立当時お世話になったのは僕のひいじいちゃんではないかと考えています。

ひいじいちゃんのお仕事の複製を曾孫が行う。

個人的にはこういった楽しみもありますね。当時お世話になった石工がひいじいちゃんではなかったらビビるけど(^_^;)いやいや。ひいじいちゃんだったと信じよう♪

 

(´∀`)ひそやかに石材業界の発信KINGを目指しま~す♪(´∀`)

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この記事を書いた人

湊 和也㈲ミナト石材 代表取締役社長
福島県二本松市小浜 ㈲ミナト石材 代表取締役社長。120年続く石屋の五代目です。お墓は「大切だった亡き御家族様の安らかな眠りを願う、残された御家族様の祈りの象徴」です。この私信を胸に、僕は人を想ってお墓をつくり続けます。・・・・・とまあ、お堅い自己紹介はここまで(笑)お酒大好き!!お祭大好き!!二人の娘を持つ石屋のおとっつぁんです!!最近は腕時計の収集に夢中~。と言っても高級品ではなくチープカシオね(笑)ブログは毎日更新しています。お墓づくりに不安のある方や疑問をお持ちの方の一助になれれば、僕にとってこの上ない喜びですっ!!

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