㈲ミナト石材 社長の湊和也です。
◯右目
令和5年11月初旬に施工中の不注意で右目を負傷。墓地用クレーンでの重量物吊り上げ作業の際に、スリングが跳ねて右目を鞭のように叩いたといった怪我。右眼球の打撲、眼球内に血が溜まってしまい溜まった血が光を遮り約二ヶ月右目が見えない状況が続いておりました。そのため現場施工・加工・彫刻各作業に大きな影響が。中でも彫刻においては全く作業できないといった始末。「もう二度と彫刻作業ができないのではないか。」こういった絶望に苛まれながら二ヶ月を過ごしました。その後令和6年1月に県の医大にて右眼球内の血を抜く手術、順調に回復して戒名彫刻は2月に復帰。石塔の文字彫刻は3月には復帰できました。現在では受傷前と同様にすべての作業が叶いますので一応の解決を迎えたといったところです。
従業員の皆様には日々、安全第一・交通安全・労災が発生しないようにとお話しておりましたが、社長である自身が労災を起こしてしまい恥ずかしい限りでした。原因はわかっています。施工ペースを上げようと必要以上に急ぎ、玉掛けの安全確認を怠ったから。
よくよく反省して、今後こういった事故が発生しないように安全管理を徹底していく所存です。
◯母
令和6年6月13日に急性心不全により母が急逝。65歳という早過ぎる別れとなりました。
社長に就任してから今まで。代変わり後のバタバタも落ち着き、自社が私の会社としてようやく軌道に乗ってきたところ、これからは母に楽をさせてあげれるなと考えていた矢先。あまりにも急であまりにも早過ぎる別れに大きな喪失感に包まれてしまいました。
心に空いたとてつもなく大きな穴。本業がお盆前の繁忙期となる中、葬儀後の四十九日・新盆と続き、その後は秋彼岸前の繁忙期そして年内完成お約束の多くのお仕事。忙しさに頼りその穴は埋まると考えておりましたが、全くそんなことはないのですね。
何事にも積極的に精力的に取り組む母でありました。仕事では事務・労務・経理と会社の下支え。プライベートでは英会話の勉強や地域へ嫁いできた外国人奥様方のための日本語教室の開催など。そして、いついかなる時も、私の味方であり私を応援してくれていた母。いつまでも下を向いていますと、「顔を上げて前へ進みなさい。」とお𠮟りを受けてしまいそう。
きっと母は、お墓に携わる人間として、最愛の家族を亡くしたお客様の御心にどのように寄り添うべきなのかを身をもって教えてくれたのだと思います。
石材店 店主としての姿勢・生き方・あるべき姿。母を亡くしたことで、あらためて学んだこれら。決して見失いません。決して忘れません。
私は母の子であることを誇りにこれからも歩んでいきます。
この記事を書いた人
- 福島県二本松市小浜 ㈲ミナト石材 代表取締役社長。120年続く石屋の五代目です。お墓は「大切だった亡き御家族様の安らかな眠りを願う、残された御家族様の祈りの象徴」です。この私信を胸に、僕は人を想ってお墓をつくり続けます。・・・・・とまあ、お堅い自己紹介はここまで(笑)お酒大好き!!お祭大好き!!二人の娘を持つ石屋のおとっつぁんです!!最近は腕時計の収集に夢中~。と言っても高級品ではなくチープカシオね(笑)ブログは毎日更新しています。お墓づくりに不安のある方や疑問をお持ちの方の一助になれれば、僕にとってこの上ない喜びですっ!!
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